Human ヒューマンアカデミー

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活躍する修了生

野中真茶子さん

日本語教師
野中真茶子さん(のなか まさこ)さん
ヒューマンアカデミー大宮校
日本語教師養成講座修了生

短大卒業後幼稚園教諭に。その後、その資格と経験を活かしJICA海外開発青年(日系社会青年ボランティアの前身)に参加。ブラジルの首都ブラジリアの日本語学校の幼児クラスで子どもたちに日本語を指導。現地でブラジル人の男性と結婚、一女をもうけたのち、家族で日本に帰国。長女が中学生になったのを機に、JICA事業への参加と再度のブラジル渡航を決意。JICA日系社会シニア・ボランティアへの応募を試み、2009年7月から同事業にてブラジル・サルヴァドールへの派遣が決定した。

INTERVIEW

Q.なぜブラジルへの派遣を希望されたのですか?

短大卒業後、数年、幼稚園教諭として働いてから、JICA海外開発青年に参加し、ブラジルの首都、ブラジリアに行きました。現地で子どもたちに日本語を教えました。 その後、縁あってブラジル人の男性と結婚。長女が生まれたあと日本に帰国しました。長女がこの春、中学生になったのを機に高校に入るまでの2年間を再びブラジルで過ごし、もうひとつの故郷であるこの国の言葉や文化を身につけてほしかったから、というのが最大の理由です。

Q.日本語教師に興味をもたれたのは?

最初にブラジルに行った際、現地の日本語学校で日系人の子どもたちに日本語を教えていた経験もあり、今回、JICAに応募する際、日本語教師として赴任したいと考えていました。 経験はありましたが資格がなかったので日本語教育能力検定試験合格と420時間カリキュラムの修了を目指してヒューマンアカデミーへの入学を決めました。
娘が高校に入るまで、から逆算すると日本語教師を目指して勉強して、日本語教育能力検定に合格して、最終的な目標であるJICAの選考までたどり着く・・までには一年という限られた期間しかありませんでした。 漫然と勉強したりJICAの募集に何度も応募したりするよりは一年を自分がチャレンジできる期間と覚悟して全ての準備を同時に始めました。
日本語教師養成講座は通常一年のコースを半年に短縮するためコマ数を増やしました。夫や娘にも協力してもらいながらこの半年間は超集中して勉強しました。
平日は午前・午後とヒューマンへ。移動の電車の中も貴重な勉強時間。家に帰ってからも娘が宿題をやっている隣でいっしょに勉強したり。 土日も試験前などは一人で集中して勉強するために夫と娘が朝から二人で外出してくれたこともありますね。
その甲斐あって2008年4月からスタートして日本語教師養成講座を秋までには修了し、同年10月の日本語教育能力検定試験に合格、そしてJICAの選考にも通りました。
一年だけのチャレンジ、と自分に負荷をかけたことがかえって良かったのかもしれませんね。

 幼稚園の先生だったという経歴を彷彿とさせる穏やかな人柄の野中さんからは猛勉強を自分に課した激しさのようなものは窺うことができない。とても自然体な方なのだ。そんな野中さんはこの7月にいよいよブラジル・サルヴァドールに向けご家族とともに出発される。今後も野中さんにご協力いただいて2年間のブラジルレポートを引き続き紹介していきたいと思う。
JICA横浜のあるみなとみらい地区は今、横浜開港150周年を記念して「開国博Y150」が開催中であり 平日だというのにたいへんな賑わいだ。野中さん曰く「夜の景色がほんとうに素敵なんです」。 そう、訓練中は施設内の宿泊施設を利用し文字通り朝から夜まで勉強漬けの毎日を過ごされているのだ。
ここでJICA横浜のことを少しご紹介したいと思う。
JICA横浜は、2002年、水産研修センターと海外移住センターを母体に横浜みなとみらい21地区に「横浜国際センター」として開設。 現在、技術習得のために様々な途上国から来日する研修員の受入れや、青年海外協力隊員・シニア海外ボランティアの事業を運営している。 主に神奈川の学校や団体が利用できる「開発教育」支援事業や、途上国の社会開発を県民の知恵と力で共に支える「草の根技術協力事業」など様々な事業なども行っている・・・(JICA横浜HPより抜粋)
館内は3階の見晴らしのよい「港が見えるレストラン ポートテラスカフェ(Port Terrace Cafe)」をはじめ、ギャラリーや図書室など一般にも開放されており、各種展示なども見ごたえがある。みなとみらいに行く機会があればぜひ立ち寄ってほしい。またJICA事業への参加応募を検討されている方もぜひ。
その中でも特に足を運んでほしいのが「JICA横浜海外移住資料館」だ。
野中さんが参加することになる「日系社会ボランティア」とも深く関係する「海外移住」。今回、野中さんをはじめ片岡さん、山口さんが参加される日系社会ボランティアは、移住者・日系人の人々とともに、生活・協働しながら中南米の地域社会の発展に協力することを目的とした事業だからだ。
1866年に海外渡航禁止令(鎖国令)が解かれてからの100年以上の歴史の中で、ハワイを皮切りに、アメリカ、カナダなど北米地域、ペルー、ブラジルなど南米地域へ、第二次世界大戦前には約77万人、大戦後には約26万人の日本人が移住した。
現代史の授業の中で海外移住についてわれわれはどれだけこの事実を学んできただろうか。どこの県が一番多く移住者を送り出したか、移住後どんな職業に従事していたのか・・今回この資料館で初めて知った・見たことが圧倒的に多い。
館内には様々な貴重な資料や展示品がテーマや時代別などわかりやすく展示されておりその中には胸を打つものも少なくない。移住当時の携帯物、復元された移住者の住居・室内、日系人のインタビュー、写真の数々・・・。ハワイではすでに6世が誕生している家族がいるという。資料館に行けなくとも同館のHPからも多くのことが学べる。
グローバリゼーションなどと盛んに言われている今より100年も前に海外へ移住していった日本人・・そのことについてもう少し理解を深めてみよう。

取材協力

独立行政法人 国際協力機構
横浜国際センター(JICA横浜)
http://www.jica.go.jp/yokohama/

JICA横浜 海外移住資料館
http://www.jomm.jp/